姫路競馬場公園
(ひのやませんき)
場所・姫路市御国野町御着

「めんどくせぇから、皆殺しにしちまえよ」

と、物騒なセリフもつい600年前までは当たり前。

何せ播磨の歴史はズバリ戦争の歴史
殺し合いにかけちゃ、全国に引けをとらない先進国でした。

とにかく身内どころか将軍までぶっ殺して、後の教科書を賑わしてきた大物揃い。
クリンゴン星もビックリの武勇伝が残っている・・・と思いきや、

戦国時代の播磨のエース、尼子さん。
赤松氏をボコボコにしたあげく、広島まで遠征。10分の1の毛利勢にボコボコにされて衰退。

播磨で戦国時代最もヤンチャした人、浦上さん。

闇討ちで政敵をぶっ殺し、主君を幽閉した上ぶっ殺し、はるばる摂津まで死屍累々を築き上げたあげく、
地元の裏切り者のおかげで、当主が戦死。その後、闇討ちで衰退。

何だ・・・このバーバーリアンみたいな野性味溢れる(脳みその)ショボイ連中は。

どうやったら20人でタコ殴りにして、2人に負けるってんだ?
しかも、裏切り、裏切りって、節操のなさも播磨人気質なのか?

まあ、そもそも姫路にたいした戦記すら残ってないんですが。

そりゃ、チラホラ出てきますよ。
英賀本徳寺と書写山円教寺がガチンコで刃交えたりとか、
鶏足寺と書写山円教寺が近場らしく骨肉の殺し合いを演じたりとか。

(さすが西の比叡山!)
でもそれすら詳しいことは解らなかったりします。

何故か?

地元のアホよりも100倍気合の入った連中が播磨にやってきたときに、にこやかに言った訳ですよ。

「素直に僕に従ってくれたら、悪いようにはしないよ」

そこでちょっとでも周りを見れる視野がありゃいいんですが、
播磨人は威勢良く、

「うっさいわ!お前が死ね!!」

と喧嘩を売っちゃいました。

その結果、主だった豪族(武将)は根絶やし。
主だった城は全て陥落して炎上。
主だった寺社仏閣は焼け野原。


それで記録がほとんど残ってないワケですな。
アホです。

そんなアホアホな播磨の中で、唯一時流を見切って強い方に勢いよく尻尾振ったオッサンがいました。
それが最近ちょっと盛り上がってる黒田官兵衛
それはもう卑屈なまでの尻尾ふりっぷり。
君主の小寺氏が人質を出し渋っている空気を読なさに痺れをきらして、自分だけ長男を信長にさっさと差し出す尻軽っぷり。
まあ、官兵衛にしてみりゃ、

「何、意地はってんの?勝つのはコッチなんだからさっさと人質送れよ。俺の立場も悪くなるだろ」

ってカンジだったんでしょうが、君主は最後までアホでした。
三木城に立て篭もった親戚や、信長が嫌いってことで気が合った荒木の叛乱に同調。
あろうことか、官兵衛の敵に回ったのです。

「勘弁してよ〜〜!」


そして、官兵衛は播磨の親戚を全員、敵に回す胃が痛くなる戦いに赴くことになります。

御着城攻略戦の始まりです。

といっても、いきなり官兵衛に、
「お前んトコの君主をぶっ殺して来い!」
ってな指令は出ませんでした。

一安心したと思いますよ。
出来たら、他の人で・・・
と胸をなでおろしたに違いない。

「あのアホの城なら誰でも落とせるよ」
ってなカンジで。

でも、ちゃっかり別の仕事が待ってました。
忘れてたわけじゃないんでしょうが、
今となっちゃ忘れていたい話

信長の部下だった頃の荒木のオッサンとは、
友達だったりするんですよね。官兵衛。

部下に優しくない信長が今時はなぜか仏心を出して、
「怒ってないから、帰っておいで」
と荒木に翻意を促す役を仰せつかりました。

まあ、君主殺しの汚名よりはマシか・・・
と、引き受けた官兵衛。

軽い気持ちで受けたら・・・・
エライ目にあいました。

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触れるの忘れてましたけど、
今回は、御着城攻略戦で重要な位置を占める、
火の山こと、南山の記事なんですよ。

←南山に行くためには、ここから入るしかありません。
一般車両立ち入り禁止と立て看板の上、
警備員まで。入りにくいことこの上ないですが、
慮なく行っちゃいましょう。
荒木のオッサンを説得に行ったら、
「戯言は周り見て言えや」
とまったく無視。
あげく手ひどく幽閉されちゃいました。

官兵衛が思ってたほど、
友情パワーはなかったワケですな。
勘違いだったら悲しいですね。
それをどう間違えたのか、
帰ってこない官兵衛に信長が何故かブチ切れ。

「人質を殺せッ!!」

と息巻く最悪の状況。
せっかく君主を出し抜いてまで長男送ったのに・・・
こんな時に一番頼りになるのは、大親友の羽柴さん。
あんたなら、官兵衛を救えるはず!
・・・・そのはずが、
「しゃあないな。命令やし、殺そっか」
とやる気満々じゃねえですかい!

ホント、友達に恵まれないですね、官兵衛。

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所以があるのかも知れませんが、
黒田製作所の角を曲がると、
御着南山公園の入り口がお出迎え。

といっても、駐車場はないのでご注意を。
1年後(長ッ)。

荒木のオッサンが逃げちゃたので、有岡城は落城。
やっと救出されることになった官兵衛。

麗しき友情のおかげで、
劣悪な土牢に放置された官兵衛くん。
頭髪は抜け落ち、
足はひん曲がる有様
で、

そのあまりの酷さに、
チ○ポ柄の服を纏ったという天然キッチーの信長に、
「ゴメン、ホント俺が悪かった」
と謝らせることに成功しました。
初めて役に立ったよ、友情パワー

まあ、息子を助けてくれたのは、
友達でもない、ってか出世敵の竹中さんなんですが。

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登山道は公園というだけあって、
めちゃくちゃ整備されてます。
御旅山とタメはる歩きやすさ。
お年寄り小さなお子さんでもOKですね。
有馬温泉で静養した後、
やっとのことで姫路に帰って来た官兵衛。

お父ちゃんは元気にやってました。
君主の小寺氏が秀吉を牽制する手前、
御着城から出てこないのをいいことに、
領主気取りで農民の争いの仲裁とかしてました。

え?ってか、まだ御着城攻めてないの?

お父ちゃん、信長から命令が来ないのをいいことに、
放置プレーしてたんです。
みんな、三木城攻めで御着どころじゃなかったんですしね。

マジで!?

唖然とする官兵衛の元に、
人の気持ちを考えないおサルさんが、
1万の兵を率いて、御着城を攻めるとの一報が。

やっぱ、俺がやんの・・・!?

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登り始めてほんの数分で、この景色。
頂上はすぐ其処か?
「三木の別所の野郎が頑張っちゃってさ、
俺の首も危ないのよ。
だからちょっとでも手柄たてとかないとね」

ってなカンジだったのかも知れませんが、
いい迷惑です。
まず従わない安養寺を焼き討ち。
地元への配慮0ですよ。
さすが、書写山を占拠してただけはある暴虐ぶり。

しかも2千人に満たない御着城に対して、
1万人の大戦力。
勝ち戦をしにきたんじゃないわけです。

目的は即行で終わらせること!
官兵衛、責任重大ですよ。
後ろめたい気持ちはあるものの、
自分の将来のために遠慮は禁物。

平城だった御着城が見渡せる
ここ、火の山に陣をしきます。

まあ、ここに布陣した時点で、
ボロ勝ちは確定。

ご覧の通り、丸見えですからね。
地元人らしい、いやらしい布陣ですよ。

後は、御着城側が降伏してくれりゃ・・・・
まあ、願い虚しく
徹底抗戦でしたが。

「人の気も知らないで・・・」

胃が痛くなる一方の官兵衛くん。
少なくなった貴重な頭髪がパラパラと落ちてきます。

そのときでした!
信じられないことが起こったのは!

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というわけで、山頂です。
これといって、何があるわけでもないですが、
眺めはバツグン。

御着城側の武将、原小五郎重親の放つ矢が、
秀吉の本陣にまでボコボコと降り注いだのです!

御着城から、ここまで500mはあるんですが・・・
ゴルゴ13でもビビる距離の狙撃・・・と考えるより、
反撃にあって攻め込まれてたってカンジですかね。
もしくは最後の悪あがきだったのかも知れません。

「ヤバイよ!」

と、秀吉は兵を引き上げ、後退を決定。
どう考えても、火の山より立地の悪い
引入谷(的形町大鳥、バイパスと播但道の繋ぎ目あたり)
に撤退してしまいます。

金ヶ崎の退き口で、
しんがり務めたオッサンにしてはビビリ過ぎだろ・・・
おかげで官兵衛くんの受難は二日に渡ることに・・・
大将のビビリのおかげとはいえ、
5倍の戦力で撤退を余儀なくされたわけですから、
官兵衛のストレスも最高潮。

何か良い材料を・・・
というわけで、官兵衛。逆転の発想を思いつきました。
昨日の撤退は原小五郎の手柄ということにして、
彼の武勲を称えたワケです。

「決してボクのミスじゃなく、アイツが凄過ぎただけなんすよ」

って魂胆ですな。
そんでもって秀吉に召抱えるよう、進言しました。
作戦は完璧。
秀吉も乗り気。
そして次の日の攻防戦で
御着城は無事(?)落城!

全てが上手くいったかに思えました。
しかし、実際は原小五郎には
秀吉の申し出を断られたうえ、
壮絶に切腹され、

その間に、小寺氏には逃げられるという駄目っぷり。

官兵衛の心にきっとこの戦は、
疫病神のように刻まれたに違いありません。
それにしても、この不甲斐ない事態を、
どうやって秀吉に許してもらったんだろ・・・?

やっぱ、人質時代のことを引き合いにだして、
恨み言でも言ったんですかね。
秀吉も後ろめたいですしね!
やっぱり最後は友情パワーのおかげですなっ!

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ちなみに御着城の本丸跡はこの公園。
東出張所がある方じゃないんです。
こんな寂しい場所に小寺氏の墓所があり、
東出張所には立派な黒田氏の墓所がある。
なんだか、物悲しいモンがありますな。
さて官兵衛くんの視点から
偏見と推測に基づいて書かれた御着城戦記でした。
いかがだったでしょうか?
好評ならシリーズ化するつもりなので、BBSまで!

ちなみに、火の山の名前の由来は、
戦争大好きマッチョおばさん神功皇后がらみの伝説と、
ガチンコ戦争のための施設だったのと二つあります。

まずこの辺の伝説を一手に引き受ける彼女が、
麻生山で怪しげな儀式をしてた際に、
神火を焚いたのがこの山なんだとか。
もう一つは、
天智3年(664年)に発行された律令で規定された
烽(ほう)がこの山に置かれたという説。

烽(ほう)とは、
白村江の戦いでボコボコにされて命からがら逃げ帰り、、
唐・新羅連合軍が逆襲しにくるよっ!
とビビリまくって作った烽火(のろし)による情報伝達網のこと。

烽自体は40里(約22km)毎に、
置くってことになってたそうですが、
それだとココの山は高さ(166.8m)が不十分な気もします。
何せ神戸までは見通せないといけないワケで。

素直に高御位山に作った方が、
いい気がしますケドね。
さらには、山頂のこの岩が、
牛堂山国分寺の名前の由来になったとか。

にはどう頑張っても見えないんですが・・・

そういや、官兵衛はこの寺に陣をはって、
三木城の別所氏と一戦交えたこともあるんですよね。

結果はボロ負けしましたが。

この土地に呪われてるんじゃなかろうか?官兵衛くん

ともかくその時なんですよね・・・・。

荒木くんと仲良くなったのも。
運命ってのはわからないもんです。
登りやすい山道ってことで、
恒例の夜景ガイドもやってみました。

思ったより、手前が暗すぎる・・・

肉眼で見るより暗いイメージ。
いやいや、ここの魅力は、
ほぼ270°に広がる眺めのよさ。
別の方角なら・・・
たいして変わらなかったですねw

ともかく、登りやすくサッサと頂上に辿りつけるので、
初心者にはオススメです。
というわけで、
「穴場の夜景スポット4号」に認定!

まずはココで暗闇への耐性を養って、
他へチャレンジしてみては?

穴場スコア
「パー」クラス

よろしければ一度はハマッてみて下さい。

記事の感想や、記事に関する情報等があれば是非BBSへ。
また記事についてもっと詳しく知りたいッ!という方も、どしどし書き込んでくださいねw

撮影:2009.2 by 穴居人