香寺・豊富
(はちじょうがんざん)
場所・姫路市新在家


 神話の時代。
 本当に壮大で珍妙な親子喧嘩がありました。

 大国主命(おおくにぬしのみこと)などなど大層な別名を持つ大穴命(おおあなのみこと)は、
乱暴者の息子、火明命(ほあかりのみこと)家庭内暴力に堪えかねて、
彼を「因達神山」へ「美味しい水が湧き出ているから来なさい」と連れ出しました。

 ノコノコと甘い誘いに乗って辺境の地へやってきた火明命(ほあかりのみこと)。
 まあ、今の風潮なら死体を隠す手間を省くために山に呼ぶわけですが、
よっぽどの小心者だったのか大穴命(おおあなのみこと)は、
息子が湧き水を汲みに行っている間に山に置き去りにするというセコい手段に出ます。

 「ざまあみやがれ!!」

 きっと息子の暴力に腹を据えかねていたのでしょう。
 いい大人がそんな子供じみた方法しか思い付かなかったんです。
 かなり切羽詰まっていたに違いありません。
 いや、本当に馬鹿だったのかも知れませんが。
(この人、他の神様と「重い粘土を持って遠くまで歩いていくのと、大便を我慢して歩くのと、
どちらがより苦しいか」というホントに下らない勝負をした前歴があったりします。)

 しかし、力の差が歴然だったからこそ姑息な手段に出なければならなかった事実は残酷でした。

 「この鬼畜野郎がっ!!」

 と、置き去りにされて激怒した火明命(ほあかりのみこと)のおこした大波で、
あっけなく大穴命(おおあなのみこと)の乗った船は転覆するハメになってしまいます。
 その転覆と共に船に乗っていたさまざまなものが地上にばらまかれました。
 それが姫路の山々や丘などに姿を変え、
市川などの暴れ川のせいでとても住める場所じゃなかった姫路に活路を与えたと言います。
 ホントに涙がちょちょぎれる位に馬鹿馬鹿しい話ですけど、結果オーライとはこの事ですね。

 ちなみに大波が起こったところが波丘(名古山)、
 船が壊れたところが船丘(景福寺山)、
 琴が落ちたところが琴神丘(薬師山)、
 筥(はこ)の落ちたところが筥丘(男山)、
 櫛箱の落ちたことろが櫛笥丘(びんぐし山)、
 箕の落ちたことろが箕形丘(水尾山)、
 甕(かめ)の落ちたところが甕丘(神子岡山)、
 稲の落ちたところが稲牟礼丘(稲岡山)、
 胄が落ちたところが胄丘(甲山)、
 蚕子(ひめ)の落ちたところが日女道丘(姫山)
になりました。
 他にも鹿丘犬丘沈石丘などがあり、この時出来た丘の数は14にもなったそうです。

 しかし大穴命(おおあなのみこと)、子捨てに来るのに、
琴、犬、鹿、蚕、瓶、兜、箕、櫛、箱、稲なんかを持ってくるあたり、
どう考えても間抜けが際立ってますね。
 せめて斧でもあれば・・・と不謹慎な事を考えなくもありませんが・・・
 ともかく子捨てという暗いエピソードが、ちょっとお馬鹿なハートフルストーリーになるあたりが、
 姫路のはじまりに相応しい伝説と言えるのかも知れません。

 前置きが長くなってしまいましたが、この神話の舞台である「因達神山」こそが、
 今回ご紹介する穴場、八丈岩山だと言われているのです。

さて西新在家3丁目の八丈岩山の登山口です。
目前に充分に駐車出来る空き地がありますが、
もしかしたら私有地かも知れないので、
徒歩か自転車で参上することをオススメします。

しかし神話の山、八丈岩山は
ほぼ中腹まで宅地整理され高級住宅地になっちゃてます。
この登山口に来るまでに
恐ろしく直線的なアスファルトの坂道を、
延々と登る事になるので、
そこで体力と気力を使い果たさない事。

丁度、富士山の五合目まで
車で行けるような気軽な気持
ちが寛容です。

後、ここに来るまで付近に案内板は
一つもありませんのであしからず。

山道は基本的に一本道。
歩きやすいようにとクネクネ曲がり道を用意したりせず、
男気溢れる頂上への一直線となってます。

山登りに慣れた人なら快適そのものですが、
子供や女性の方には少々酷かも。
雨の後なんかだと、
ぬかるんでとても登れない気がします。

転んで汚れてもいいズボンで来るのは必須ですね。
いくら街中にあると言っても、フォーマルスーツで
「おい!今日は天気がいいから山でも登ろうぜっ!」
というわけにはいかないでしょう。
(そんなヤツはいないでしょうけど)
姫路の中心街から目算2km圏内にある山にしては、
山内はほとんど手つかずになっています。
植林された形跡は皆無で、
原生林がそのままの形で残っているようです。

イノシシが出るとの未確認情報も。
しかし山道につきものの
動物のフンがまったく見あたらないあたり、
野生動物との遭遇はあまり期待出来ないと思います。

ほんの10分〜15分ほど登ると
眼前に大きな岩群がお出ましです。

周りに高い木々がなくなる大岩は
絶好の見晴らしポイントになっています。
案の定その上に立ってみると・・・

姫路の街が眼下に大きく広がります。
姫路城をも視界に治める好条件。
これでもうちょっと木々が
鬱蒼としていなかったら御の字なんですが。

それでも男山景福寺山よりも標高が、
倍以上ある分(172.9m)、雄大な景色が楽しめます。
贅沢は言いません。

大岩上での雄大な景色に、
つい満足感に浸ってしまいがちですが、
頂上まではもうあと少し。
眼前の岩場は山頂を覆うほど巨大です。
 
この岩は云億年、
そりゃもうウンザリする位に繁栄した
放散虫の死骸の固まりである
チャート岩体というものだそうです。

さて意外にあっけなく辿り着きました。
山頂です。
山の名前の由来になった
八丈もあるという大岩の上です。
 
岩の上には何かの記念碑が。
姫路を一望出来る立地から
城跡の碑かなとも思いましたが、
彫られている内容は、少々期待外れなものでした。

まあ、そもそも期待のベクトルが、
おかしいのはご愛敬です。

風化して文字が定かではないですが、
どうやら言いたいことは、

「ここに高岡神社があったんじゃぞ。憶えとけ」

ということのようです。

規模のある神社であった模様ですが、
資料は残念ながらありませんでした。

・・・しかし参道にしては山道が急過ぎたような・・・・

百度石を達成する頃には相当、鍛えられると思います。
八丈岩の全貌。
八丈もあるかはやっぱり定かではありませんが、
なかなかのスケールです。

時代劇で少年達が語らうシーンなんか
撮るにはいいかも知れません。
眼下の街並を一望しつつ
「俺は姫路で一番の剣客になる!」

とか夢を語らうシーンに。

ものすごくささやかな夢ですが。

山頂から姫路の街を展望。
大体、中心市街がこの方角でしょうか。
姫路城から網干、遠くは家島までが一望出来ます。
真中の枯木さえなければ
姫路市内随一の展望スポットなんですが・・・・
ふと暗い欲望が頭を過ぎるのは悪い癖です。

例えるならたった一人の差で大学受験に落ちた浪人生が
目の前で浮かれている合格者に
ぶつける気持ちとでも言いましょうか(解りにくい)。

我慢が寛容です。

とりあえず姫路城をクローズアップしてみました。
3倍望遠の非力ではこれが精一杯です。

意外とこの角度の姫路城は好きですね。
この山からしか見れないお徳感もあります。
高岡神社の名残りでしょうか。
山頂付近には小さな祠もありました。

とあるサイトには
屋根瓦の残骸が散乱していると書いてありましたが、
そんな形跡は見あたりません。
三角点は道端におざなりに放置されてます。
見つけるのは意外と簡単なんで助かりますけどね。

他の姫路の山々は意外と草むらの中にあったりして
探すのに手間取ります。
・・・とまあそれほど広くない八丈岩山の上を、
舐めるように探索しても目につくのはこんなところでしょうか。

山岳会の案内板すらないのは、
少し寂しいものがあります(注目度0?)

ちょうど山頂にやって来た時間が6時。
山登りには遅すぎるこの時間をチョイスしたのは、
高地の醍醐味。
夜景を撮影するためです。
八丈岩山からの夜景はきっと穴場の価値があるはず。

・・・と、それまではやることがないので、眼鏡で遊んでみます。

Smile!!!

こんなピンボケ写真をとるのに、数十枚と枚数を費やしてみます。
時間があり過ぎるのも酷ですな。

季節はもうすぐ冬だというに、相応しく寒風が吹き荒れます。

10分もすればさすがに眼鏡遊びにも飽きたので、

姫路の街に手をかざして遠近法を無視することで、
姫路を自分の手中に収めたような気分に浸ってみます。

自分の小ささを改めて思い知りました。

ようやく街に照明が灯り始めました。
待ちに待った夜景の時間です。

相変わらず姫路は建物よりも、
道路の光りの方が目立ちますね。

神戸が100万ドルの夜景とするなら
姫路は100万香港ドルくらいの価値でしょうか。

夜景で観光客を呼べるのはまだ当分かかりそうです。
野里方面です。
さすがにこれ位、暗くなるとスタンディングでは
手ぶれが無視出来なくなってきたので、
リベンジを誓いつつ、退散することにしました。

下山は月明かりが頼り。
慎重に慎重を重ねたために
登りの倍以上の時間を費やしてしまうハメに。

ただ急な坂道なので逆に懐中電灯などを持っていた方が
片手が塞がってしまうため、危ないかも知れません。


以上、穴場の八丈岩山でした。

穴場スコア
「パー」クラス

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撮影:2005.9 by 穴居人