(だいにちかわら)
場所・姫路市野里
実戦経験なきことが、防人としての誇りでした。
僕の大好きな怪獣映画で、
怪獣と一戦を交えることになった自衛隊(映画の中じゃ国防軍)が悔しそうに云うセリフ。
ものすごくカッコいいんで水を差したくないんですが、
「働こうと思えば、働けるんだぜ」
と、開きなおるニートみたいで、ちゃんと戦えるのか不安になります。
現に人の弱みをネチネチつく天才、刑事コロンボがこんなコト言ってます。
「我々刑事は殺人事件のプロでね、年に100件は体験してる。これはすごい修行だ。
ところが犯人はね、どんなに頭が良くても殺人は初めてだ。アマチュアなんですよ」
・・・ますます不安になりますね!
さあて、最後の実戦から60年。
経験がないまま100年以上過ぎると、どんなカンジになっちゃうか?
西国最前線のハズだったのに、最後まで戦わなかった
姫路藩がちょっこと垣間見せてくれます。
というわけで、ひさびさに、市川下流域桜紀行、第5弾!
姫路藩大砲遠距離射的場、大日河原でございます。
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ホントに姫路藩、 血なまぐさいことはとりあえず、 市川でやろうとしてますね! ここ大日河原も、処刑やら砲撃やら、 一般市民が近寄りがたいイベントが目白押し。 演習ともなれば、 河原から向かいの高木山まで(距離約760m)、 盛大にぶっ放してました。 って・・・高木村・・・ 人が住んでたハズなんですが。 士農工商の時代にゃ、関係ないんですかね。 |
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他にも、野里の日吉神社から、 伊伝居山までぶっ放した記録も。 無人戦闘機を飛ばすような軍隊でも、 誤射するのに、お前らホントに大丈夫なのか? 残念ながら、記録が残ってないので、 どんだけ農民の頭上に降り注いだかは、 解りませんけどね。 たちの悪さは北の某国並ですよ。 と、地図上では大日グラウンドがあるはず・・・ |
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って、見事な桜並木がお目見えですか! 312号から土手で隠れたこのグラウンド。 意外に発見しにくいのか、 花見客もほとんどいない。 何せ、軍隊が人家に向けて、 大砲撃ってた現場ですからね。 あまり大っぴらになってるハズがないんですよ。 |
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でも、ちょっと回り道をすりゃ、 車でもたどり着けます。 姫路の桜スポットは、 車じゃ行きにくいトコが多いので、 中々、ポイント高し。 ところで姫路藩、300年の安寧な日々に、 頭のネジが緩みきったのか、 演習でアホなことを思いつきます。 |
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「熟達者には、 砲弾の重量を名前に冠することを許す」 つまり、 「俺はこんだけの威力の弾を撃てるぜ」 と自慢させたワケですね。 つまり、 ・・・・兵器が自分で、 性能を明けらかしたワケですね! 戦いの世界では、 自身の性能を誇張はすれど、 明確にはしないのが普通。 何せ、性能がバレバレだったら、 相手はそれを考慮して戦術を練れば、 事実上、その兵器を無効化できるんですから。 「俺の弾はここまでしか届かないぜ!」 と、高らかに宣言してるようなもんですよ。 |
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野口二貫左衛門ってな具合に。 ・・・でも二貫って、 意外に頑張ってます。 何せ約7kgの弾をぶっ放すわけですから。 しかも、姫路藩で最も多く、 二貫の名前を戴いている流派は、 関流で、膝上砲射を専門にしていたとか。 膝の上で大砲をぶっ放す!? どうやってやってたか、 資料が手元にないんで想像もつきませんけど、 戦後は大道芸で食っていけますよ! 一回でいいから、見てみたい。 ←話が逸れますけど、この桜並木、 シンプルに見事です。 荒んだ話ばっかりな世の中で、 心が洗われそうですゼ。 |
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グラウンドではどっか陸上部が練習中。 この桜の中でとは贅沢ですな。 そういえば穴居人は知りませんでしたけど、 砲術にも流派があったらしいですね。 姫路藩には、 荻野流、関流、不易流、 高島流、佐々木流、自得流、井上流 の7流が伝わっていたらしい。 鉄砲ぶっ放すのに、 流派があるだけでも驚きですけど、 幕末の動乱も近い時代に、 西洋式砲術を採用していたのが、 高島流だけとは・・・・ 後の連中は戦国時代仕様ですか? |
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土手越しには、対岸の桜も映える、 こんな景色も。 入学式の日に、わざわざこんなトコを歩かせて、 ムービーをとりまくるのもオツかも知れません。 ちなみに300年間、 一度も大砲を使うことのなかった姫路藩。 しかしついに戦いの時がやってきました。 時は幕末。 長州征伐です。 まあ、大将がトンズラこいたので、 岡山から逃げ帰っただけなんですが。 結局、300年磨きに磨いた腕を、 披露する機会はないのか・・・ |
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否! まだ篭城戦がありますぜ! 姫路藩といえば、当時バリバリの佐幕派。 何せ将軍の逃避行に、 姫路藩主がちゃっかり同行しちゃってますからね。 それぐらい、幕府の重鎮。 しかも西国最前線! もう京都で一戦交えて、 負けちゃってる後なんで、 最前線なんかは微妙ですが、 まだ戦えます! 薩長連合軍をここで食い止めるのだ! 余談ですけど、←ココ、菜の花もキレイです。 |
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なのに、あっさり開城しちゃいました。 しかも、700m圏内(男山と景福寺山から)という まるでこの演習場を見越したかのような 距離からの射撃を受けての開城。 さぞや屈辱的でしょう。 「撃ちてぇんだよ。 俺の方がもっと上手く当てれんだよ!」 とまあ、一武士がのたまわったのかも知れませんが、 時代の流れについていけず、 結局一度も役に立たないまま、 終戦を迎えるハメに。 ←ココが対岸、大日河原の桜といえば、 コッチの方がなじみがあるかも。 |
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何より、可哀想なのは、 近代戦に投入される新式の大砲に、 彼らのテクが通用しなかったことですよ。 まあ、近代兵器は膝では打てんです。 というわけで、 大砲の流派はもうほとんど現存してません。 残ってたら、 祭りの時とか引っ張りだこなんやろうに・・・。 残念でたまりませんよ。 まあ、300年練習して、 曲芸扱いじゃ、 それこそ屈辱的なのかも知れませんが。 最後は312号から。 コチラは見慣れた方も多いはず。 今度は是非、 この裏側にも足を運んでやってくださいな。 |