姫路競馬場公園
(ごじゅうめーとるどうろ)
場所・姫路市駅前町〜姫路市本町

「俺は妥協せん。五十米道路と心中できたら、本懐じゃ」

何とも不穏当な台詞ですが、渡世の世界じゃこんな位の覚悟は当たり前。
場末のチンピラでも貴重な命の大安売りができるのが、ヤクザな商売の常識です。

ガラの日本一悪い(確定)姫路の人間なら、違和感のない定番の台詞じゃないでしょうか。

これが市長の言葉じゃなければ。

三左衛門堀の時にも紹介しましたケド、この人のガラの悪さは尋常じゃありません。

石見元秀
これでも選挙で選ばれた姫路で初めての市長だったりします。

言動だけでもこの有様なので、当時はもっとエライことになっていたに違いありません。

ま、ホントにとんでもないことになってたんですが。

昭和24年

道路一本作る
だけなのに、姫路の町は凄まじいことになってました。

市長の家に暴徒が押し寄せる→警察が物々しい警備線を張る。

全面衝突寸前→気分はもう戦争


さすが、真夜中の商店街でヤクザがせっせと銃撃戦を繰り広げたことがある
姫路らしいアグレッシブさです。
日本の風景とは思えません。メキシコかなんかですか?(不謹慎)

しかしなぜ、こんなことに?

たかが道路を造ろうとしただけで??
問題は道路を”どこに造ろうとしていたか”でした。

その場所は、戦後に出来た闇市のど真ん中だったのです。
ただでさえダーティーなシュチュエーションで生活してる方々を相手に、

「お前の不法占拠してる其処によ、道路造るからよ、どっか行けよ」

と喧嘩を売ったわけです。
命があっただけ幸いってもんです。
乗り込まれるぐらい大したことじゃないんですよ。

いつぞやみたいに、お上の船をぶち壊したアホを自国の法律無視して釈放しちゃう
日和見主義の政治家たちには、とても真似できない芸当を、
一市長がやろうとしていたのです。

政治家は事をもうちょっと穏便にすすめるもんじゃないの・・・?

いやいや、勘違いしないでください。

石見のオッサンは政治家じゃありません。
本職は満州帰りの土建屋さん(筋金入り)なんですから。

行政経験はゼロなんで、気の利いた根回しは出来ませんが、 
ヤクザ者の相手はお手の物ってわけです。

何故、こんな人が市長に?

もう市長になるトコから、真っ暗暗いカンジですが、
意外とその理由はシンプルでした。

メキシコで女子高生の警察署長が誕生したのと同じ理由、

成り手がマジでいなかったから。


五十米道路。
まあ、見ての通りの大手前通りです。

穴場どころか姫路市民なら
訪れたことのない人間を探す方が難しい
超有名スポット。

今回はその隠された歴史を
紐解いていこうってワケです。

まあ、読んだトコロで、
姫路のトラウマが増えるだけですけどね。

−−−−−

当時、市長は公選って訳じゃありませんでした。
どういうことかというと、
なりたいねんっ!と手をあげたところで、
市議会の選出がなけりゃ立候補すら出来ない上に、
市議会を突破したところで、
今度はお国に「この人でよろしいですか?」
とお伺いをたてなきゃいけなかったりと
無駄にハードルが高かったのです。

正味、フツーのお人じゃなれません。

だから、戦前の市長は元軍人や役人、
百歩譲って地元の名士ばかり。

まあ、今とあんまり変わり栄えは
しないんですけどね。


しかし、とすると土建屋が
市長になる可能性はもっと低くなるのでは?

と当然の疑問が浮かぶでしょう。
その答えのヒントは戦争
軍都として、軍隊大好き市長や議員を
大量に抱えていた姫路は、GHQの占領政策の一環、
公職追放のせいで、
主力をごっそりと持ってかれていたのです。

つまりは、戦争に賛成してた連中は、
みんなお役御免になったってわけです。

何せ市長はおろか
議会の半分以上がクビになったってですから、
どんだけ戦争大好きだったんでしょ。姫路。

まあ、異常事態も異常事態ですが、
しかしいつまでも市長の椅子を空席にはしておけない。

そこで、急遽残った市議会員で21人の候補を立てました。
元京都市長、後の大阪市長、兵庫県議会議員などなど。
錚々たるお歴々の中に、
安全牌って事で地元の名士などもチョロチョロと。

そんなかに石見のオッサンも入っていたワケです。
喜々として満州に行ったぐらいですから、
きっと戦争も大好きだったろうに、
日本にいなかったおかげで、候補に上がったってわけです。
皮肉ってこういう事を言うんでしょうね(遠い目)

まあ、全員に断られましたが。

ちょっとお高くとまりすぎたんですよね。
かなり高尚な候補ばかり選出したもんで、
他の大都市からの首長推薦を望んでいた方々に、
焼け野原で治安最悪の地方都市
ガン無視されちゃいました。

当然ですね。

それでもあきらめる訳にはいかない市議会は、
最後の一人を懸命に説得しました。

「今、20人目に断られたばかりだ。
こうなればもうあなたしかいない」


この身も蓋もない説得についに
21人目の男は首を縦に振ったってわけです。

多分、市議会が最も市長にしたくなかった男。
推薦名簿ですら名前を間違われていた
(失礼ってレベルじゃねえ)
石見基秀ならぬ石見元秀が。
昭和21年7月

46歳で市長に就任。
戦災で荒廃した町を復興させるためにまず着手したのが、
土地区画整理事業でした。
まあ、満州帰りの土建屋さん(しつこい)ですからね。
こっちが本職みたいなモンです。

見境なく計画しまくった
総事業費が10億2000万円。

当時の姫路市の一般会計が
たったの7400万円ってんですから、
スケールのでかさが際だちます。

正気ですか?

一般会計全てつぎ込んで、
10年経っても完済出来ないんですが・・・
そんなこと、お構いなしに、
昭和24年9月に先だって着工されたのが、
この五十米道路(大手前通り)だったんです。

全長832m。

駅から姫路城まで一直線に延びる
当時としては類をみない大型道路でした。

しかも幅が50m
まだ馬車すら現役だった時代にですぜ?

味方のはずの身内からも、
「空港でも作る気か?」
と呆れられました。

下水道すら整備されてない街でですからね。
シムシティですら、苦情殺到しますよ。

まあ、そんなことはお構いなしにやっちゃうんデスがね。

「駅から国宝見れたら、最高じゃろうが」
と多分、安易な考えから計画されたに違いない(確信)
みんなの理解を越えた観光道路は、
当時としてはまた珍しい試みもされてたりします。

電柱を一切たてずに地下に埋設したんです。

発想が20年は早いですね。
まあ、街路樹植えたら、たいして変わらないですが。

穴居人だって姫路市民歴も長いですケド、
言われるまで気付きもしませんでしたし。

そんなモダンな道路は着実に出来上がっていきました。
闇市の上に。
どうやって筋金入りの
無法者達との戦いに勝ったのか。


賢明な皆様はそればっかり
気になって仕方がないでしょう。

答えは簡単。今も変わらぬ
ギブ・アンド・テイクでした。

まるで北朝鮮にコメを送るよーに、
商売するスペースをあらかじめ、
作ってやったのです。

当初は山陽百貨店の位置に建設するつもりでした。
その名も姫路デパート
駅前の一等地をくれてやるつもりでした。

闇市の連中に、
「ここでやったら合法的に商売してもええ」
と焦臭い丸め込み戦略に出たわけですな。

ま、土地を持ってた山陽神姫にビルだけ作らされて、
闇市の兄ちゃんたちは門前払いされましたが。

仕方無しに作ったのが、今の銀ビルでした。
その他にも、
南地、宝、新地などへ
闇市の連中を定住させる荒技。

ま、駅前で商売できるなら、
いいかなってことなんでしょうが。

というわけで、懐柔政策が功を奏したのか、
なんとか五十米道路は無事、完成したのでした。

道路関連の工費だけで1億円

1年間の一般会計を、
道路一本で使い切りましたよ。


さすが後に姫路を夕張寸前にまで追い込んだ
市長の懐の深さが垣間見えますね。

まあ、大盤振る舞いしてんのは、
税金ですが。

今や、黒い戦いの面影もない
五十米道路(大手前通り)。

まさか、闇市500戸もひしめき合ってた
なんて想像も出来ません。

燃費と頭の悪そうな
改造マフラーで闊歩するアホどもが
通り道全ての信号が青になるという
VIPな送迎バス(一方通行)に乗せてもらう、
毎年恒例のイベントが形を潜めた今、
黒歴史に思いを馳せてみるのも
一興ではないでしょうか。

まあ、この道路未完成ですしね。

いや、ええと・・・実はここ、
駅地下を掘り進んで
駅南と繋げる計画
だったんですよ。

さらに幅は当初100mでしたしね。

「町で運動会でもする気か」

姫路市が破産しなかったのは、
ちょっとした奇蹟ですよ。こりゃ。



穴場スコア
「パー」クラス


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撮影:2009.01 by 穴居人