(わかつおうじじんじゃ)
場所・姫路市香寺町相坂
さあて皆様方、突然ですが神社にお参りする時、何をお願いするでしょうか?
病気がなおりますように?
お金が儲かりますように?
彼氏が出来ますように?
あたまがよくなりますように?
大年神社じゃ、そんな願い事は叶いません。
何故かって?
そもそもそんな神様じゃないからです。
大年神社の祭神は、大年神。ご利益は五穀豊穣。
つまりは「今年も豊作をお願ぇしますだ」ってのが、正しい参拝スタイルなんですよ。
受験生でもないのに、せっせと毎年天満神社にお参りする方、
其処に祀られてるんのは、
上司の政争に巻き込まれて辺境に飛ばされたことを怨念になっちゃう位に恨んでるくせに、
「帝釈天様に復讐していい?ってお伺い立てたらお許しが出たんで復讐します」
と上の顔色をうかがうのが得意な中間管理職に過ぎません。
八幡神社にお参りする韓国の方々。
あの・・祭神は朝鮮半島を石で孕み腹をぶっ叩きながら屈服させたとかいう女傑さんの息子なんですが。
ある意味、護国神社参るより国辱もんなのでは?
というように、祭神を正しく把握していないとご利益も糞もあったもんじゃないのです。
じゃあ、何処に行けばいいのかわからない・・・
という方もおられましょう。
その方に是非、オススメなのが今回紹介する若都王子神社です。
何せ祭神が誰なのかわからないので、心配無用です。
香寺の奥地、相坂トンネルのすぐ近くに この神社はあります。 近くに民家は一つもなし。 新しい神社は不便なトコロに造られた試しがないので、 (例:山頂の社→山裾に引きずり下ろす) なかなかに由緒があるトコだとわかります。 その起源は軽く1000年近く前まで遡る という話もあるほどなんですが・・・ 祭神がはっきりしないという前代未聞の神社です。 もちろん御神徳も不明。 おかげで必読本「姫路の神社」を もう一回熟読してしまいましたよ。 町ん中の小さい社まで網羅したこの本でさえ、 祭神が不明の神社は出てきません。 |
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そりゃ、カレー屋にルーがない みたいなもんですもんね。 シチューにだって、 肉じゃがにだってなりますって訳にはいかないのが 筋ってもんです。 しかし、やむを得ない事情も。 この神社、江戸時代に 2度も火事の憂き目にあっているんです。 人里離れているせいか、いずれも全焼。 その辺りから此処の神様が誰だか わからなくなったんだとか。 |
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ってそれで済ますなよ。 今ひとつ村人の気が知れません。 祭神なんてどーでもいいような 神社を2度も再建するか? 祀ってた神様が誰だかわかんなくなったケド、 とりあえず神社立て直しちゃえ! ってはずないと思うんですが・・・ 龍馬がまだ土佐でごにょごにょやってた頃の話なので、 真相は藪の中ですが、 姫路最大のミステリースポット と言って過言でないでしょう。 願い事をすると パルプンテを唱えたみたいになるに違いありません。 多分。 |
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神様を信じてる皆様、 そんな怪しげスポットに行きたくもない 気持ちもわかりますが、 若都王子神社にはもう一つ、 大きな魅力があります。 と言っても一部の人限定ですが。 穴場の姫路の神社巡りでは恒例の絵馬達! とくとご覧あれ! トップバッターは、 明治38年、 「日露戦争旅順港の戦ノ図」 今回は資料があるので、いつになく詳細(笑)です。 |
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お次は明治23年、 「天元の一石ノ図」 囲碁をテーマにした珍しい絵馬。 詳しくない穴居人には何のことかサッパリなんですが。 天元ってゲーム会社しか出てこん。 どうも囲碁板の真ん中を指すよーですが。 内容をご存じの方、ご一報をば。 特に真ん中の主役っぽい人の、 背後にいる角だし毛むくじゃらが気になって しゃあないので。 某ジャンプ漫画の元ネタですか? |
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昭和38年、 「農耕田植ノ図」 戦争絵馬も大好物ですけど、 たまには、こーいうのがいいですね。 まあ、この山間のどこに こんな広大な田んぼがあんねん!? とか無粋なツッコミは入れたくなるのは否めませんが。 |
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どんどん行きますゼ! 大正12年、 「曽我兄弟討ち入りノ図」 日本三大仇討ちの一つらしいですが、 身近の赤穂浪士をさしおいて、 サイレントヒルでの出来事を絵馬にするあたり、 反骨精神が伺えます。 もう一個の鍵屋の辻の決闘の方が、 まだ姫路に関連があるんですがね・・・ 今じゃドマイナーなエピソードなんで、 貴重かも。 |
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盛大にすっ飛ばして、 戦争絵馬に戻ってきました。 昭和13年、 「支那事変南京城の中華門 一番乗り六勇士大奮戦す」 ああ、あれですね。 戦闘機まで飛び交う近代戦で、 塀をよじ登ってた連中ですね。 そのまんま絵柄にしたらさぞや 間抜けだったんでしょうが、 ここは是非、真実の姿を晒していただきたかった。 |
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明治27年 「日清交戦日本大勝之図」 一人を踏みつけながら、 もう一人を羽交い締めにして、背中からグサリ。 どうやったらこんな図案思いつけるんでしょう。 明治の想像力に乾杯です。 ってかどう見てもヒールなんですが・・・ 日本ってこんな勝ち方しましったっけ? |
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昭和2年、 「鉞かついだ金太郎と熊ノ図」 今までいろんな神社で金太郎の絵馬を見てきましたケド、 此処の気持ち悪さは特別。 熊なんか何処にいるんだよ。 金太郎の口が頬まで裂けてるのに、 早く突っ込んでください。 |
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年月不詳 「武士と大砲ノ図」 ファイエルッ!! 今までいろんな神社で(またかよ) サムライを見てきましたけど、 ここまではっちゃけてるのは、初めて。 もう何が描きたいのか ハッキリしませんがインパクトは抜群。 この神社最大の見所と言って差し支えない出来。 必見です。 |
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右手には、絵馬の多い神社にはつきものの、 十二支も。 もう消えかかってますが、 その個性的なデザインセンスを拝むだけでも、 ここに来る価値があるってもんです。 (そればっかやな) いやはや、ホントに感無量。 「語り継ぐ古里の歴史」で書かれてたとおり、 「絵馬がどんなもんか説明すんなら、 ここに連れてくる」 を地でいく充実っぷり。 いやぁ、奥が深い。 ちなみに此処の十二支は天保14年製。 炭が寿命を迎える前にどうぞ。 |
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こんなのも紛れ込んでますが。 目が痛いッス。 加藤清正がやんちゃな時の絵馬なんでしょうが、 無駄に一色で統一されてるせいか、 緊張感0の癒し系に収まってますね。 色のせいなのか、二人の緊張感のなさか、 お花畑で戯れてるよーにしか見えねぇ・・・。 |
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絵馬ばかりに気をとられて本編を忘れてました。 ここの神様ですね。 一応、地元の研究家によれば、 元々は若王子神社か、 若一王子権現だったんじゃないのと推測されてます。 名前から。 つまりは未だに謎のまま。 多分、氏子の方々が全滅するまで、 きっとこのままに違いありません。 正月、正直去年一年間ロクなことしてこなかったゼ! って方はここにお参りするといいでしょう。 ご利益は期待できないケド、 バチもきっとあたらないので。 |