姫路競馬場公園
(しろはたかんのんじ)
場所・加古川市尾上町池田

どうしてこんなことになってしまったのか?

太陽公園に峰相寺本格復旧しなければ、
ここが播磨最強の珍寺スポットに違いありません。

いや、だって全てに違和感があるんですよ。

それはもうパーフェクトにおかしい(褒め言葉)

お寺としておかしい?

いや、ちゃんとしたお寺です。

観音様はきっとお堂に鎮座してるし、
開基も何と延喜16年。ざっと1100年以上前

曹洞宗の寺院で、創建に時の天皇が勅願まで出す優等生っぷり。

鐘楼もあれば、水子地蔵も、道場まであるれっきとしたお寺です。

でもとてつもなく変なんです。

言いたいことの5%ぐらいしか伝わっていないのが口惜しい。
百聞は一見にしかず。とりあえず見ていただきましょう。


入り口は見た目、問題なし。

パーフェクトとか言いつつ、
外観はいたって普通です。

広すぎる駐車場を除けば、
何処にでもある、
地元に根ざしたお寺にみえます。

入り口には、小規模のお寺にしては珍しく、
案内表示板まで立っているホスピタリティっぷり。

これがとんでもない罠だってことに、
微塵も気付かせない完璧なカモフラージュです。
門をくぐって、境内へ。
まだ許容範囲ですね。

狭い境内に所狭しと建物や通路が
引き詰められている
ことや、
正面の目立つ位置にガス燈を配置してあるとか、
多少、嫌な予感は否めませんが。
見た目、村中のこじんまりとした
お寺に過ぎませんが、
其処は開基1000年以上、
ちゃんと池まであったりします。

お寺にあるモンは、
五重塔以外、
オールキャストであると言っても過言じゃない充実っぷり。

なので右手はこんなんですが、
ふとを見ると・・・

こんな景色が広がってたり。

お堂と水子地蔵が向き合ってるシュチュエーションって
あまりお目にかかれないです。

大体、水子地蔵ってお寺でも、
隅の方にひっそりと佇んでるもんなんですが、
此処では玄関横という、
嫌でも目に入る位置だったりします。

よっぽどスペースがなかったんでしょうか。
(確かにどことなくぎゅぎゅうづめですが・・・)

その横の目立たない位置には、
魚藍観音(ぎょらんかんのん)が鎮座してます。
魚くん達の魂を供養する珍しい観音さんだと、
このお寺のホームページ(今は亡き)
に書いてあったそうなんですが、
御利益が違う気がするんですが・・・・

ま、そんな細かいコトを気にしてたら、
この寺は乗り切れません。
何せ、絵馬殿が
我が物で建ってる寺ですからね。


そうなんです。
この白旗観音寺、
お寺なのに、
周りの神社なんか屁でもない
お世辞でもなく播磨最大級の絵馬殿が
あったりするんです。
みてください。

壁一面に、所狭しと掲げられた絵馬の数々。

これで統一感があるだから圧巻。

神社でもない場所にこれだけ多くの絵馬があるのは、
ここの始まりに由来します。

この珍妙極まるお寺ならではの、
スケールのでかいお話です。

まず、高砂です。

ここは加古川じゃないの?と突っ込みもありましょうが、
まずはお待ちを。

実は、このお寺、
既婚者には今となっては不気味な笑顔で、
押入れに鎮座しているに違いない、高砂人形の原点、
能”高砂”の主人公、阿蘇友成が京に戻る途中、
この地に立ち寄ったのが始まりです。
ここの地に船を止め、
尾上で松の精とイチャイチャ問答する
メルヘンたっぷりな出来事
に満足した、阿蘇くんは
そそくさと退散しようとしました。

すると突き立てた竹が
(なぜ突き立てたかは謎)
みるみる育ち、根を張ったんだとか。

無視して行けばいいんですが、
厳を担いだのか阿蘇くん、もう一晩、
この場所に泊まることにしました。

そしたらその夜、夢の中に
いつも持ち歩いていた観音様が現れたのです。

まあ、肌身離さず持っていた
テディベアがいきなり喋り出したみたいなもんですな。

今ならアイフォンで心療内科を検索しそうな勢いですが、
阿蘇くん、ちょっと前に松の精と交信したばっかだったので、
すんなりこれを受け入れます。
観音様は、

「このあたりって波風が高くて、
船乗りが苦労してるやん?
俺、ここに留まってみんなの無事を祈りたいねん」


とおっしゃられました。
次の日起きた阿蘇くんは、観音様の言うとおりにすることにします。

地元民に観音様を押し付けて、
さっさと都に帰ってしまいました。


いやぁ・・・旅先まで肌身離さず持ってきた観音様にお願いされたら、
一緒にここに安住するもんじゃないんでしょうか・・・
宮司さんなので、責任ある身分ではあるのですが・・・

さっきまで、松の精と戯れていたのに、
こういうときだけ、リアリストなんですな・・・
ともかく.置き去り・・・もとい!この地に安置された
秘仏、聖観音様は、白状な元持ち主にもめげず、

今度は、地元の有力者の夢の中に現れました。

「白い布をあげるからさ。
船に、これつけたらきっと守ってあげるよ」


とおっしゃられました。
何て健気。

感動しましたか?みなさん。

それでご利益があったことから、全国から信奉をあつめ、
いつのころからか、
白旗観音寺と呼ばれることになったんだとか。

そう。ここの絵馬が船関係ばかりなのは、
こういう事情からなんです。

前置きが長くなりましたが、
さあ!絵馬の数々をご堪能あれ!
←中でも、お気に入りはこれ。

遠目じゃ何かわかりませんが、これ
一隻一隻、違う船の名前が書いてあるんです。

いろんな絵馬を見てきましたが、
53隻(乗組員推定200人以上)
を一気に祈願する強欲っぷり。

なかなかお目にかかれるもんじゃありませんぜ。
家島船員労働組合は、もっと強烈です。

何だ。あの聳え立つ観音様は。

一瞬、世界平和大観音
(by淡路島)かと思いましたが・・・
周りに工場が見えるので違うでしょう。
あそこはド田舎の断崖でしたからね。

ってことは、ここの観音様のお姿なのか・・・・

ふと疑問なのですが、なぜどの絵馬も
白旗を掲げていないんでしょ?

万国旗に大漁旗ばかり

いくら温厚な観音様でも我慢の限界ってあると思いますよ、はい。
そんな盛りだくさんの絵馬殿の床には、
しっかりとした線香差しが。
(ホントの名前はわかりませぬ・・・)

何がすごいって、
この無造作におかれたものが、
約170年前の代物だということです。

今じゃ、この有様ですが。

タバコまで捨ててあるんですが・・・・

そりゃ、耐火仕様はバッチリですが、
胸に痛いものがあります。

いくら温厚な観音様でも(しつこい)

しかし、この無軌道ぶりが
播磨最強の珍寺っぷりに拍車をかけます。
何せ、絵馬殿中、落書きだらけなので。

しかもとびきり頭の弱そうなのばかり。

こんなのをほっといたら、
寺の品位にかかわりそうなもんですが、

観音様のおおらかさのおかげか、
ずいぶんと長く放置されてます。
なぜ、長く放置されてると分かるかって?

そりゃ何せ、ロマサガ3の攻略教えようか
って書いてるからですよ。

1995年の作品ですよ。

18年前!
穴居人が小学生のときのゲームですからね。

そこから、これが残されていたとなると、
逆に保存しておきたいのかと勘繰ってしまいます。

子供らが無邪気で微笑ましい?
←コレをみてから、ほざいて下さい。

すごいゆるキャラが創造されてますよ。

何ややねん。
シャバキJXって。

醜悪とホラーを通り越して、
微笑ましくもあります。
山田邦子の芸風が嫌いとか

やまかつ見るのは関根氏が出ている為とか、

もの凄い達筆で、書き連ねられている上から、
この有様・・・・

これをカオスといわず、なんという。

いや、実に素晴らしい。
かっこつけて、スプレー片手に橋の欄干に
読めもしない落書きするより、よっぽど好感が持てます。
ときどき、こんなことにもなってますが。

ま、子供にゃありがちですよね。

タヒねやら、ウ○コやら、連発したい時期が
一生に一度くらいはありますもんね。

これがお寺の境内でなければ、
微笑ましい光景なんですが・・・
その真上じゃこんな絵馬があるっていうのに。

どうやら、病人の回復祈願の絵馬のようです。
この辺は、お寺らしい絵馬ですね。

僕は昇天されてる最中かと思いましたよ。
この一枚がなければ。

病床シリーズはまだありまして、
こっちにはちゃんと説明書きが。

どうやら、このお寺に祈願したところ、
病気が持ち直したとのことです。

この部屋、配置がおかし過ぎるだろとか、
無粋な突っ込みは入る余地もないほど
素敵なお話です。

いや、でもここの観音様、
海専門
じゃねえんですかい?
と、浅はかに勘ぐるのも、
←コチラをみれば黙るしかないってモンです。

生はねぇ・・・・生は・・・・

迫力と説得力が違いますね。

おじいちゃんが元気になってくれて何よりです。
皆さん、もうお腹いっぱいですか?

この寺、まだまだありますぜ。

盛りだくさん絵馬殿の隣には水子地蔵よりも巨大な
ぼけ封じ観音が・・・

しかもまだ新しい。
古い町には必要かも知れませんが、
ちょっと目立ちすぎじゃねえでしょうか?
二つとなりの目立たない位置には、
室町初期のとも伝えられる六地蔵が。

ここのものはとりあえず由緒ある年代物
ばかりでビックリですよ。ホント。

この形状のものは非常に珍しく、石幢(せきとう)と呼ばれるそうです。

まあ、その横のお地蔵さんは無銘ですが。

穴居人は岸部一徳の大ファンなので、
この手の表情のお地蔵さんは大好物ですけどね。

六地蔵が生と死を分かつ由縁で、
墓地の前に建つということは・・・・
当然、境内にはお墓があるわけですが、
この寺でただのお墓な訳がありません。

近衛兵の軍人墓碑です。
播磨広しといえど、お墓に行くたび墓碑を読んでる
穴居人でさえ、近衛兵には出くわした事がありません。

しかも碑文は少将男爵の川村景明。
日露戦争で、政治的な思惑で独立部隊にされた、
鴨緑江軍を率いて、善戦した薩摩軍人。

爵位クラスが碑文を書くとなると、
戦死した彼の活躍も気になるところです。
さあ、いかがだったでしょうか?

もう賽銭箱にちょっと哀愁漂うぬいぐるみが
はめ込んであっても驚きません。

このお寺ではレベルが低い出来事です。
サイコミュ搭載型のゲテモノモビルアーマーみたいな
連中を潜り抜けた猛者には、
ふいに現れたアッガイなんかはチャーミングに見えるもんなんです。

何故、ここに?

とかは微塵も考えません。

そりゃ、すぐ隣で、
梅干の宣伝に出てきそうな風体の
お坊さんが鎮座していたって、今更、驚きません。

このお寺じゃ、日常茶飯事ですから。

実はこのお寺、正式名称が
生竹山(しょうちくさん)観音寺で、
しょうちくさんが訛って、イケタケサン、
それがさらに訛って池田。

つまり地名の元になっていたって、もう驚きません。
(由緒ありすぎだろ・・・)

それでも、山号があの山岡鉄舟の書ってのは、
驚かされましたが。

二本差しも人に借りるほど、メッタギッタな状況で、
親分の勝海舟から、
「降伏するから、西郷さんに話しつけてちょ」
と危険極まりない任務を与えられ、
全周囲包囲という無条件で降伏しなきゃいけない
高級料亭でニコニコ揉み手接待必須の状況で、

あの西郷隆盛に物申した豪傑ですよ!

いやあ、何から何までスケールが違います。

あ、ここの宣伝をしている仏壇屋さん。
気になったでしょうから書いておきます。

ごくらく仏壇店

やけに目だってますが、ここも146年前からの老舗。
ホント、何から何までですよ。

海上波初の意味はわかりませんが。


実は・・・・この境内を一歩出た先にも、圧巻のミステリースポットが、あったりします。
それは次回にでも。


穴場スコア
「イーグル」クラス


記事の感想や、記事に関する情報等があれば是非BBSへ。

撮影:2011.03 by 穴居人