(きたひらのてんまんじんじゃ)
場所・姫路市北平野奥垣内
何故だか、学校でほとんど習いませんでした。
満州事変。
もっとも、穴居人は歴史の授業中に「万国奇人博覧会」を3度も読破していたので、
正直、覚えていないだけかも知れませんが。
しかし、何かやましいことでもあるんですかね?
数千年の人類の歴史の中でも他に類をみない最低レベルの戦術を国規模でやっちまった、
お涙頂戴特攻にいたっては、現役都知事が映画作っちゃうほど大プッシュしてるのに。
226事件。
こっちも学校では、話すら出てこなかったですね。
一部の青年将校によるクーデター・・・
って今でいや、自衛隊の連中たちが「俺達の考えはお前らみたいな腐った政治家とは違うんで」と、
総理大臣や閣僚宅に殴りこみ機関銃ぶっ放しただけに飽き足らず、一時は永田町を武力占拠しちゃったという、
その気になれば簡単にやれちゃうんだよ、
とシベリアンコントロールの利かない軍隊の恐ろしさを改めて教えてくれるスゴイ事件ですよ。
まあ、そのどちらも良かれと思ってやった結果、
太平洋戦争の遠因になっていくワケですから、世の中どう転ぶか解らないですな。
そんな戦前の2大事件の深い関わりのある場所が、実は姫路にあるのです。
正確には2つの事件に関わったある人の遺跡が。
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ラブリータウンという、 英賀保駅側の黄色いマンション並に赤面しちゃう 正直、後世には残したくない 昭和テイスト溢れる住宅地の奥、 地図にも載っていない、山ん中に神社はあります。 正直、境内は広くて整備されており、 地元の方々の深い愛情を感じます。 何せラブリーですよ、ラブリー。 町の真ん中にラブホがあるのは、 何か狙ってらっしゃるんでしょうか? 興味津々です。 |
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さすが、戦前2大事件に関わりがあるだけあって、 かかっている絵馬のほとんどが戦争物。 その筋の方には、ウハウハですよ。 それにしても太平洋戦争中にも、 軍神に祀り上げられた連中が一杯いましたが、 絵馬になってんのは、見ませんな。 むしろ、皆無。 何でなんなんだ? 撤去されたのか? それとも神頼みする余裕もなかったのか? まあ、神頼みしたい気分は一杯だったでしょうが。 |
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さて本題。 満州事変、226事件に 大きく関わった人物といえば、 謀略大好き、東条と仲が悪かったおかげで 戦後もちゃっかりと生き残った石原莞爾がいます。 板垣のおっさんと共に、 上司や国の許可も得ずに戦争おっぱじめて、 後で追認させるというヤンチャにも程がある 策略を仕掛けたと思いきや、 上司や国の許可を得ずにクーデターを起こして、 後で追認させえようとした若者達を、 積極的に討伐しちゃう、 「俺がよければええねん」 が行動に如実ににじみでてる 無節操な軍人さんです。 |
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しかし、まあ小説家にとってみりゃ、 派手な立ち回りで、使いやすいキャラクタなワケで、 戦前を舞台にした物語では必ずといっていいほど、 しゃしゃり出てくる困ったお人です。 え?石原の遺物がここに? いえいえ。 ココにあるのは、 その石原に 二度も泥を塗られたお人の物ですよ。 |
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彼の名は、本庄繁。 え?知らない? まあ、無理もないですが。 本気で花がないですもんね。 何せ満州事変の際は、 現場の最高責任者だったくせに、 石原たちから「もうやっちゃったんで」と聞かされて、 「どうしよぉなぁ・・・」と逡巡したあげく、 「責任は俺がとる」と格好つけて 石原達の思う壺になっちゃった ホントに気の毒なエピソードしか残ってないお人ですから。 |
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226事件の時だってそうです。 石原が本庁に乗り込み、 クーデター派を手際よく鎮圧している最中、 娘婿が何をトチ狂ったか、 クーデター側に味方しちゃったもんで、 天皇に「助けてくださいよ」と陳情に行き、 「俺の臣下をぶち殺した 畜生どもをかばいだてする気か?」 ともうあり得ないぐらいに怒りをかって、 軍を辞めざる得なくなった惨めっぷり。 どうしてこう、くっきり明暗が分かれるモンなんでしょう? ←あ、一応、軍関係以外の絵馬もありまっせ。 |
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その明暗の分かれっぷりは、 戦後にまで引きずることに。 戦後は両名ともに軍属を退き、 まあ平和に暮らしてはったんですが 本庄が満州事変の時の責を問われ、 GHQに逮捕状を出されたのに対し、 石原にいたっては、実行犯のくせにお咎めなし。 石原が自分が訴えられてないのをいいことに、 東京裁判で得意げに抗弁をたれていた時、 本庄は割腹自殺をして、ひっそりとこの世をりました。 コントラスト激しすぎですよ。 この二人の人生。 |
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さあ、見事なまでに 石原の引き立て役人生を謳歌した 本庄さんの遺物、 実は、最初のコマに写っていたんです。 神社の鳥居にかけられた額。 その文字の横に書かれた墨書にご注目。 本庄さん、一時期、 姫路で師団長してたことがあったので、 そのときのものに違いないですね。 しかし、この頃はまだこんな悲惨な人生を送るとは、 夢にも思ってなかったんだろうなぁ。 |
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そういや、この本庄さん。 資料が乏しすぎて、あんまりよくわからないんですが、 兵庫の生まれらしいです。 もしかしたら、この近くだったのかも。 近くには広峰に続く山道も。 山登りがてらに、時代と石原に翻弄された 一軍人の儚い人生に、 思いを馳せてみるのも一興じゃないですかね。 |