(はちおうじじんじゃ)
場所・姫路市飾東町山崎
もし不審火で燃えちゃったら、間違いなく市長のクビが飛ぶほど、市民に過度に愛されてる姫路城。
そうですよ。姫路人は駅前に城より高い建物は建てないんですよ。
大型家電量販店とイタリア人建築家に駅前を乗っ取られた京都とは一味違うんですよ。
けっして建てられないんじゃなくて、ね。
そんな姫路城が「23円50銭」で買い叩かれたという話はご存知でしょうか?
あれは実は本当のような嘘の話なんです。
ややこしいですが、本当になりかけたってのが正しいかな。
ちなみに姫路城が売りに出されたのは事実です。
しかも落札価格設定が、「50銭以上20円以内」でですよ!
そんなオークションで「23円50銭」で買ったオッサンはかなり頑張ったってコトですね。
もう少しで「姫路城って”5円があるよ”と同じ値段なんだぜ」とか子供に馬鹿にされるトコでした。
それでも”ぷちぷち占いチョコ”と同格、”ココアシガレット”に負ける程度なんですがね。
なのに姫路城はオッサンの物になりませんでした。
実はオークションは開催されたものの、実際の売買契約は結ばれていなかったんです。
つまり結局、売るつもりはさらさらなかったわけです。
なら、オークションなんかすんなよ。ヤフーだったら信用度ガタ落ちですよ。
オッサンはこんな横暴に黙っていられるのか!?
見事に黙ってました。
ようやく明治12年。
後に日露戦争戦勝祝賀会の時に大砲の的にした姫路城の重要性に気付いた国は、
放置されて崩れるがままの城にやっとこさ、修繕費を工面しました。
その額、一時金で5140円。
DSのゲームソフト並の金額ですな。
現在の価値に照らしあわすな?じゃあ当時の基準で言うとこんなカンジ。
当時の1円の価値が現在でいうと大体10万円だから、5140円=5億1400万円。
ショボッ!
どこぞの公務員がチリ人妻に貢いでいた金額に毛が生えた程度ですよ。
やる気あるんかい!?と思ってたら、次の月には2500円に値切られてました。
もう羽毛布団の綿埃りのように軽い姫路城の価値。
だがしかし、日の目をくるときがやってきました。
その5年後、ついに8万5000円の予算が姫路城修繕にくまれたのです。
見る見る生まれ変わり立派な姿を取り戻す姫路城。
これでもう「材木と釘がとれますよ」なんて
屈辱的なキャッチフレーズでオークションにかけられることもないんです。
往年の威厳ある姿を取り戻した姫路城。
たとえ当時、軍の施設で立ち入り禁止だろうと、
そのおかげで家老屋敷が取り潰されて兵隊養成所にされようと、
姫路市民はその復活を歓迎したことでしょう。
たった一人を除いては。
そんな状況になってオッサンが(正確にはオッサンの息子)が、
「姫路城は俺のモンや」と、訴訟(イチャモン)をつけてきたのです。
8万5000円の大修復にしても「別に気にもとめなかった」と大物ぶりをアピール。
うわぁ〜!えげつねぇ〜!
まあ結局、何故国が個人の持ちモンに大金を投じなアカンねんという当然の突っ込みを退けられず、
当のオッサンが、「え?俺そんなこと言ったっけ?」と
旗色が悪くなったのを見越してさっさと手をひいたので、無事に解決しちまいました。
もしそのまま裁判沙汰になってたら、映画が一本は出来るオモロい話になってたやろうに。
残念至極。
誰かこれをネタに本でも書いてくれへんかな。
![]() |
と、やってきたのは、姫路市飾東町。 今までの話とはほとんど関係ありません。 いやほんのちょっとだけ関係あるかな。 実は姫路城が売りに出された時期、 内壕や城内の建物も売りに出されていたのです。 姫路城は↑みたいな事情で助かりましたが、 その他は容赦なく売り払われました。 その内の一つ、姫路城の城門が ここの八王子神社にあるというんです。 |
![]() |
姫路セントラルパークに登る一本道から ほんのちょっと、西へ入ったトコに、 八王子神社はあります。 すぐ見つかりましたよ。 ・・・ん? 門がない! 見るからに新しい玉垣と、 平成生まれの立派な社殿。 一足遅かった・・・・ 江戸時代産は解体されてしまったのか!? |
![]() |
とりあえず境内を捜索してみます。 何か痕跡とか碑文とかが残されてないのか? 答え:何もありませんでした。 この神社、必要以上に何もない・・・ すごすごと帰るしかないのか? と、意気消沈して近場の 八重畑鉱山の取材でもしようと 地図を開いたその時・・・ |
![]() |
もう一社、八王子神社があることが判明。 姫路セントラルパークに登る一本道をはさんで東側。 めっちゃ近い。罠としか思えない距離だ。 お?何だか門みたいなのが見えてきました! |
![]() |
姫路市教育委員会の不親切な案内板まである! ついに見つけました。 ←これが姫路城の城門だったそうです。 いやはや思ったより小さい。 それでいて思ったよりボロボロ。 片方の門が、腐って崩れ落ちてます。 だけど見ようによっては立派かも。 こじんまりとした神社に、 この一箇所だけ異彩を放ってますもんね。 |
![]() |
さて八王子神社の社殿は、 気の毒なぐらいに平凡。 姫路市教育委員会の案内板は門の説明だけやし。 八王子神社は全国的に分布していて、 特に珍しい神様ではない様子。 土着の神道と仏教とのコラボレーションという 日本ならではの神社です。 「神道の神様は実は仏教の神様でもあった!」 という仏陀もキリストも同じ神みたいな 原理主義者なら頭を抱えて激怒しそうな逆転の発想。 そういうヘンな融通の利く、昔の日本人、 穴居人は結構好きです。 まあその後、廃仏毀釈なんていう 騒動も起すんですがね。 |
![]() |
結局、この門は姫路城の何処にあったんでしょう? それを確かめようと、姫路市立図書館の上にある 日本城郭研究センターに行ってきました。 正直、取っ付き難い外観に似合わず、 職員総出で対応してくれました。 ・・・暇なのか? 門前払いを食らった埋蔵文化財センターの 不親切さに比べると涙がちょちょぎれそうな対応。 所長さんらしい方によると、 この門、との3門ではないか?とのこと。 姫路城内の門で見つかっていないのは、 との3門だけなんだそうです。 |
![]() |
「いや、それはないでしょ」 と、他の職員の方々からは総スカンでしたが。 実は中壕に無数に作られた外門は ほとんど全てがこの門と同じ、 高麗門という様式だったそうで、 職員全員の意見はそのうちの一つだろうとのことでした。 うわ・・・所長さん・・・肩身狭っ・・・・ ま、と言っても解体して墨書でも見つからない限り、 どこにあった門なのかは特定できないんだとか。 大丈夫です。 このまま放置してたら間違いなく 10年以内に自然解体しますよ。 |
![]() |
とにかく姫路城を知り尽くしたいマニアックな方は、 此処と、置塩城は外せませんな。 姫路城築城のために、 石垣を無残に崩され廃城となった置塩城、 姫路城と共に、 売買されていった数々の建築物たち。 城にまつわる悲喜こもごもが 此処にはあるような気がします。 |