穴場の姫路
(おづざか)
場所・たつの市御津町室津 たつの市揖保川町馬場

2年前。
人生の中で正直、怖いものなんかないと思い込んでました。
此処に来るまでは。

かなりビビりましたよ。
何せ何の気なしに入り込んだ山中で、
↓突然、こんな光景に出くわしたんです。

立派な石垣の上にある恐怖の世界。
霊感0の穴居人ですが、さすがに雰囲気に飲まれてしまいました。

何せ、無縁仏供養碑から納骨塔
はては火葬場までが無残に野晒しにされていたんですから。

その直上には今にも草むらに埋もれそうになっているお墓が無数に。
意を決して進んでいくと、草むらは次第に鬱蒼として身の丈を優に超えてきます。
その時でした。

ふと見た足元に倒れた墓石が・・・・

一目散に引き返しましたよ、ええ。
その割に写真をちゃっかり撮っている余裕が何ですが、
とにかくが残りました。

逃げ帰った場所のその先には何があったんだろう?

そもそも何故、墓が朽ち果てるコトに?
遺体を埋葬する場所は法律上の関係で(許可なしだと死体遺棄になってしまうので)
必ず管理されているハズなのに。
というわけで謎を解くべく、リベンジするコトに決めました。

台風4号が迫る梅雨前線の曇り空の中、250号線を室津へと走ります(自転車で)。

アクシデント!
呪われてるわけじゃないでしょうけど、
走行中にメガネのレンズが片方モゲました

危ないっ・・・・七曲りに入る前でよかった・・・・
先日、踏みつけたせいで
メガネが歪んでネジが外れたようです。

近くにあった図書館
輪ゴムクリップを頂き、
応急処置(ネジ穴をクリップで固定する荒技!)

これぐらいじゃめげません。

とりあえず山で滑落したらメガネは、
無事ではすまないだろうな・・

ともかく気を取り直して現地へと。
まずは室津と大浦の間にあるコチラの墓地に来て、
手を合わせます。

「お騒がせします。
大目にみてやってください」


と願掛けしてみますが、
お地蔵さんとしては、

「そんなんやったら、来るなよ」

という気分なんでしょう。きっと。
此処にまず来たのはある仮説があったからなんです。
何故、墓地が廃棄されたのか?
それは道沿いで立地のいい此処に、
墓地ごと移転したからではないか。

景福寺山随願寺墓地のように古い墓地から、
新しい墓地へってワケです。

・・・・と思っていたら、墓石の年代を見て唖然。
明治!?
廃墓地には太平洋戦争戦没者のお墓もあるので、
年代的には食い違ってしまいます。
う〜ん・・・。
墓地の西側、尾津坂の入り口です。
ちなみに東側の道を登ると、
見事に行き止まるので注意。

そんな道を軽自動車が泥道に足をとられながら
あがって行ったのが気になりますが・・・


250号線を走っていて、
まさかこの道が山越えできる道なんて
思わないでしょうな。
基本的には岩見新道まで周るはず。

というより反対方向から降りて来た車は、
此処から浜国に進入しようとすると、
かなり危険なのでは・・・カーブミラーもないですし。

そもそもこの道を車で行こうとする
勇者はいるんでしょうか?
車高の低い車は即、事故&遭難するので要注意。
ドコモのアンテナ塔を過ぎると、
道の様子が一変

そうこれが尾津坂です。

薄暗い原生林の中の一本道
ホラー映画でも導入部の演出が、
キーポイントと言いますが・・・こりゃ演出過剰ですよ。

クリスタルレイクの湖畔に迷い込んだような気分で、
ふと山の斜面を見上げると、
規則正しく石柱が並んでいます。

これは・・・もしかして・・・・
やっぱりでした。

崩れた石段を必死こいて登ってみると、
墓石がズラリ。

ただ石段が崩れたのは最近なのか、
墓所自体は比較的、整備されていて一安心。

明治以前のお墓もチラホラありますが、
それでも参拝してくれる方がいるのは、
都会の墓地とはちょっと様相が違って
温かい気分になれます。

!!!っと油断していたら、
大きな穴に足をとられました。

何の穴かは深く考えないようにして、
先へ進みます。
辿り着きました。

此処が2年前に逃げ帰った墓地の入り口です。

よく見るとかなり新しい花が供えられています。
朽ち果てたお墓に献花?

もしかしたら、以前来た時は
整備が行き届いていなかっただけなのかも。

ちょっと足取りが軽くなってきました。

すいません。大間違いでした。
むしろ夏になって悪化してます。

草が生い茂って、前が見えない・・・・
目立つ目標物は墓石のみ。

踏み跡がわからないんで墓石を辿る
・・・考えたくないシュチュエーションになってきました。
ようやくこの墓地の菩提樹らしき
巨樹の袂にまで辿りつきました。

・・・・見ての通り雰囲気バツグンです。

2年前は此処で引き返したんですよね。

行く手を阻むうず高い草藪。
此処から先は未知の領域です。

ですが今度は引き返しません。
たとえ地面から白骨が剥き出しになろうと、
先に進んで見せます。

身体中にひっつき虫を纏わせながら、
藪をくぐりぬけます。

この先に何が!?
違う意味で呆然。

突然、今までの行程が嘘みたいに、
整備された墓地が姿を現しました。

これが謎の答え。
決してこの墓地は打ち捨てられたわけではなく、
この山自体が墓所だったんです。

村の焼き場が近代的な施設に移行するにしたがって、
便利の悪い山の裏側の墓地から、
道路沿いにどんどんと移っていった。
古い墓地は参道がコンクリート舗装されていない上、
訪れるものも少なく、藪の中に埋もれていってしまった。

景福寺山随願寺墓地と、
同じシュチュエーションながら、規模が違ったというわけです。
先ほどと打って変って歩きやすい山道を行くと、
かなり広範囲に耕地が広がってます。

いきなり墓地からカメラを抱えて現れた
ものすごく怪しい穴居人
に、
ネット張りをしていたご夫婦が声をかけてくれました。

「降りるなら、その細い道だよ」

親切なご夫婦の言葉には素直に従います。
実はこの夫婦に逢うのは2回目。

尾津坂入り口の墓地で出会った
軽自動車に乗っていた方々です。
つまりは助言のとおりに下れば、
墓地の入り口まで出られるという算段。

すんなりと下山できそうな予感。
っと何故か旅館「きむらや」の裏手に出てきました。
目的地から結構遠い・・・・

でも室津漁港が一望できる好立地
得したのか損したのか、判断が難しいトコです。

しかし此処にいたるまでにも、
山道沿いに散発的にお墓が建てられてました。

山中が墓地だという仮説を裏付ける証拠かな?
さて歩行者に優しくない七曲りを、
歩いて再び尾津坂へ。

前回よりも鬱蒼と茂った草むらの中に建つ火葬場。
扉は朽ち果て、中も崩れてしまっています。

興味深いのはこの火葬場のすぐ側に、
無縁仏慰霊塔があるということ。

室津が宿場町色町として栄えたのと
関係が深いように思えます。

悲しい物語もきっとあったに違いない。
そんな彼らの物語が語り継がれる切っ掛けに、
この場所はこの先も此処にあり続けて欲しいと
穴居人は思うのです。

場所が場所だけに、
柄にもなく神妙な気持ちになっちゃいましたね。

さて気を取り直して墓地を後にすると、
ひたすら轍のしっかりした山道が続きます。

正直なところ、展望はイマイチ。

しかも水はけは最悪で、途中から道=川の状態に。
マウンテンバイクにはつらい。

後輪のはねっかえりで、
髪の毛が泥だらけになっちゃいますからね。

背中が道路と同じ色に染まってる
とかは、
基本的に日常茶飯事ですよ。

あっという間に折り返し地点の鳩ヶ峰へ。
実際の室津街道はこの少し上にあったとか。

・・・・というかこの上って街道とは名ばかりの、
只の山道なんですが・・・

室津から山陽道に抜ける道ということで、
参勤交代の行列が通ったり、
シーボルトが訪れたりと、
かなりの要所であったようです。

それにしても切り通しって、
江戸時代とかに一人で通るには、
かなりの勇気がいったかも。
何せ山賊とかが待ち伏せするには、
絶好の奇襲ポイントですもんね。

鳩ヶ峰を抜けると、びっくりするぐらい、
道がしっかりしてきます。

それにしたがって目に付いてくるのは、
道に沿って延々と張り巡らされた有刺鉄線金網

・・・どんだけ厳重なんだ。

ダイセルの工場の敷地内ということですが、
2年前来た時は柵の内側に入ったかと思って、

「僕ってもしかしていつのまにか
不法侵入してるんじゃ・・・」


と焦ったもんです。

しかしこの坂カーブが緩やかな上、勾配があるので
スピードの出し過ぎに注意です。

危うく有刺鉄線に磔になるトコでした。
さて下界に帰って来ました。
尾津坂の終点、近藤池です。
冬になると5000羽もの鴨が飛来する、
揖保川町随一の観光名所がお出迎え。

ともかく2年前に残された謎を、
恐怖をかいくぐって見届けた達成感に充実してます。

・・・・と思っていたら、
帰り道に廃寺を発見してしまいました。
山崩れで倒壊?

この山で何が!?

また新たな謎を宿題に、しぶしぶ現地を後にします。

何せもうすぐメガネ屋が閉まってしまう時間なので。


道が整備されていないので、肝試し目的で訪れるのは自殺行為と思います。
(穴居人が言えた義理ではありませんが)

出来たならば、静かな心地で死者達の物語に想いをはせて頂けると幸いです。
お墓とはそのためのモニュメントなのですから。

穴場スコア
「ダブルボギー」クラス

よろしければ一度ハマッてみて下さい。

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撮影:2007.7by 穴居人