姫路競馬場公園
(いなりやまはいすいち)
場所・加西市田原町

日々、失われていく地元の戦跡。

戦跡保護の会でも立ち上げようものなら、
右翼の末端部隊
にみられてしまいかねない昨今じゃ、
仕方ないことかも知れません。

市議会議員になるぐらいの覚悟がないと、
手を出せない保護活動ですが・・・・チキンな穴居人としてはどうにも、

「子供が事故でも起こしたらどうするの!!」
と、がなるPTAの方々を説得できる気がしません。

きっと「・・・じゃあ、仕方ないッスね・・・」
二つ返事ですよ。

「お前、そんなら金輪際、道端で自動車の死角に面白い程に入り込む
注意不足ガキ共を好き勝手にのさばらせんなよ。一生、監視しとけ!」
とか、反論できません。

「負の遺産があれば町のイメージが悪くなる!!」
と宣う地元住民にぐぅの音もでません。

「お前、戦跡があるだけマシだろ?売りにしないとこんなド田舎、
一生、町おこしなんて出来ねえんだよ!」
とか思ってても口に出せません。

そんなチキンの穴居人は指を咥えて、慚愧に堪えてりゃいいんでしょうか?

いや、いや。後ろ向きに考える必要はないんです。

あくまでポジティブにいきましょう。

単純にこう考えればいいんです。

絶対に失われない戦跡を見つければいい。

それなら安心ですね(何が)。

え?そんなのあるわけがない?

実はもう見つけちゃったんですよね。
それが今回、ご紹介する稲荷山配水池。

多分、朽ち果てるまで残り続けます。

何故か??

勿体ぶってもバレバレな気がするので、
先に種明かし。
実は今回の戦跡、稲荷山配水池は
山の上にあるんです。

しかも近代の配水池じゃないので、
自動車が入れる道路もない素敵仕様。

完璧な立地ですよ。

といっても、
グーグルアースの衛星写真以外、
これといった情報はないんですがね。

車道とかあったらどうしましょう。
一応、地図にはでてませんが・・・・

とりあえず、
グーグルアースを信じる方向で。

まずやってきたのは、
山の名前の由来にもなった
田原稲荷神社

良くいえば、情緒的
悪くいえば、古くさい社が、
実に穴居人好みです。

人の気配があれば、
戦時中の話でもお聞きするんですが、
妖怪ぐらいしか出そうにない雰囲気なので、
ソッとしておきます。
毎度のお楽しみ、
絵馬もこの有様ですからね・・・・・

裏地に新聞紙を使っていたせいか、
跡形もなく朽ち果ててます。

何が描いてあったのか、
場所が場所だけに死ぬほど気になりますが、
今となっては確かめる術がありません。
それにしても、←このカンジ!

今でも現役なのに、
どっちかっていうと、
廃墟の方が近いっていうこのカンジ!!

堪りませんのぉ・・・ジュルリ(不謹慎)
稲荷神社のマスコットキャラも、
こんなにこぢんまり。

ホッコリしますね。
どうも。

さらには・・・
家なき子に盗ってくださいと言わんばかりに
無防備な賽銭箱。

いやぁ、パーフェクトです。
こういうのをいつも求めてるんですがね。

姫路で新しく出来る神社は、
見た目ばかりが立派な
型通りに組みあげられた、
しょーもない連中ばかりなので、
是非に見習って欲しいもんです。

この泥臭さがポイントですよ。
そんな廃墟寸前の稲荷神社を東に行くと、
本気の廃墟に出くわしたりしますけどね。

廃墟というより、廃園の方が正しいかな?

ブドウ畑の残骸っぽいもんが広がってます。

しかし安心しました。
どこをどう探しても、
登山道すら見あたれねぇ。

60年以上前に放置された遺跡とはいえ、
まったく踏み後がないのもスゴイ。

この分だと後、100年は大丈夫ですね。

しかし、登るには藪こきしかないか・・・。

ここを登ると決めたときから、覚悟はしてましたよ。

何せここ、西日本で最大級の戦跡、
海軍姫路基地(鶉野飛行場)の施設の一つという、
ネームバリューの割に、
インターネットで一切引っかからない有様でしたからね。

山行記録すらありません。

ってなわけで、テキトーに
神社横の、なんとなく人工物っぽい
瓦礫の付近から、山に踏み入ってみます。


10分後

山の真っ直中で石垣を発見。
いやぁ、とりあえず体中に枝が突き刺さってますよ。

茨に襲われるぐらいは、
藪こきでは日常茶飯事なんですが、
セーターで登り始めたのが誤算でした。

引っかかる。引っかかる。

それにしても、この石垣、
結構な距離続いてます。
ちゃんと登り口があったのか?
一大事です。

かなりしっかりとした、
石垣の道がまっすぐ続いてます。

見ようによっては六甲山の登山道よりも立派。
さすがに軍隊、仕事がカッチリしてますな。

これでは、戦跡を無下にする輩の
侵入が容易になってしまうじゃないですか・・・

ま、踏跡がないので
今はほとんど眼中にないよーですが。
ほどなくして、
これまた立派な石積みの階段が出現。

さっきまで藪こきしてた
同じ山の光景とは思えません。
側面は立派を通り越して、
完成度の高い石積で囲まれてます。

これは全部、
から持ってあがったんだろうな・・・・

道が必要な理由も想像に難くないワケです。
重機さえそれほど活躍していなかった時代に、
この山奥に急拵えとはいえ、
これだけの施設を作るのは並大抵じゃなかったでしょう。

まあ、もう一生日の目はみませんがね。
上の方はさすがに崩れかかってます。
足場を確かめながら、
頂上部分を目指します。

それにしても、人工物の区域が思ったよりも大きい。

木々が生い茂ってなければ、
空から丸見えは確実。

よく空襲を乗り切ったもんです。
そういえば、姫路でも男山は羅災を免れてますケド、
水道関係のインフラって、やっぱり
攻撃目標からはお情けで外されてるもん何ですかね?


来た!!

瓦礫ばかりで、
一瞬ヒヤッとしましたけど、
その勇姿を留めておいてくれました。

何の気なしに山登りに来た人には、
ただの謎の施設ですが、
戦跡マニアには感慨深い、
巨大軍事施設ですよ!。

軍事施設
ああ、たまらない響きですね。

え、あ、右寄りな発現じゃないですよ。
率直な感想です。
だって戦跡ですよ!この山ん中に!!
(重要なことなのでもう一度)。

予算ないねん
とか
「税金の適正配分以外に、
お前らの仕事って何かあんの?」

と存分に突っ込みたくなる弱音を吐く政権与党が、
きっと羨ましいだろうなぁ、という時代。

つまり、みんなが二つ返事で、
お国の言うことを聞いてた時代

の建造物ですからね。
それにしても想像以上。

今でも少し改修すれば現役で働いてくれそうな、
綺麗で荘厳な佇まい。

鶉野防空壕群もそうなんですが、
ここのコンクリートの質って、抜群なんですかね?

良いヤツでも100年そこそこと言われる、
コンクリート製の建造物で、
戦後65年以上経ってんのに、この頑強さ。

このまま永久に居座って欲しいもんです。
稲荷山配水池から海軍姫路基地を望んでみます。

木々さえ邪魔をしなければ
全容を把握できる立地なのが、
容易に想像出来ます。

たけちよさんが東京から強奪してくれた
アジア歴史資料センターの概要図には載ってませんが、
ここは監視塔も兼ねていたのかも知れません。

現に、建物の西側に大きな広場がありますしね。

感慨深いですが、早く山を下らなきゃいけません。

何故かって?
一刻も早く安心する為ですよ。

配水池←石階段←石垣の道

と来た道が一体、どんな場所に繋がっているか?

それを確かめるまでは、
道がこんな状態になってようが、
安心出来ません。

いや、見当はついてるんです。
稲荷山の東側には、
軍が工作機械を製造する工場がありました。

今は道が通って跡形もないですが、
きっと其処に出るハズ。
って、思いきり神社裏に出るんですが。

どうやら、神社裏から廃園を右手に、
上がっていくのが正解のルートだったようです。

つまり行きは、正規ルートにいながら、
あえて藪に突っ込んだワケですな・・・。

まあ、一安心です。

正規ルートも藪も見分けが
つかない
よーな立地ってことですもんね。

ゴール地点(稲荷神社西側)周辺には、
よく見れば、農家には不釣り合いな
立派な建造物が並んでます。

←こんなんも当時物っぽいですね。
真剣にナンバリングすれば、
4ケタに手が届きそうな戦跡銀座ですよ。此処は。

さあ、後、確認できている情報の内で
まだ未見なのは、
加西フラワーセンター内の防空壕ぐらい。

春の訪れが愉しみになってきました。

他にも海軍姫路基地(鶉野防空壕群)関連で情報をお持ちの方、よろしくです。


穴場スコア
「ダブルボギー」クラス


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撮影:2011.02 by 穴居人