姫路競馬場公園
(ふくちやませんだっせんじこしゃりょう)
場所・姫路市市之郷

あの忌まわしき阪神大震災が起きたとき、穴居人は大阪にいました。
当時、2段ベッドで弟と一緒に寝ていた穴居人は、

午前5時に「バタバタすんなよ、うるせぇな」と叫んでたもんです。

それが地震だと気付いたのは、7時過ぎのことでした。
ウチでの被害は食器が割れた程度。
そのとき、穴居人の関心事はただ一つ。

学校が休みになっているか?どうか。

休みだったら、思いっきり遊びに行く気満々でした。
学校は通常通りやってましたけど。
本気でガッカリしたもんです。

要は他人事だったんです。ほんの50km向こうで6000人が死ぬ大惨事になっているなんて、
想像もできていなかったです。

この時もそうでした。

事故当時、働いていた会社の本社がすぐ目先にあったっていうのに、
まるで他人事でした。

「電車って一番、安全な乗り物じゃなかったっけ?」

それぐらいの認識でした。
だけど姫路に住んでいる以上、まったく関係のない話じゃなかったんです。

何せ、当時の事故車輌は今、姫路にヒッソリと保存されているのですから。

其処は、新幹線の高架下
確かに大きな構造物を置くとなると、
最適なのかも知れません。

そもそも高速道路の高架下みたいに、
有効利用されているのをあまり見ませんしね。

と言ってもココは果敢にも、
有効利用する気満々なようで、
こんな看板が立ってます。

ご希望の方は・・・・誰に言うねん!?
と本気で突っ込みが入れたくなる看板です。

こんなところに事故車輌が?
空き地を上手く利用したのか?

車通りがほとんどなく、
人目につきにくい
のも確かですが。

見えてきました。
周りから一切、覗けないように徹底された
トタンの要塞。

この中に、あの事故の車輌があります。

1両目を除いて
1両目は今、吹田の岸部にあるそうです。

穴居人はその昔、ホント近くに住んでいたんですけどね。

この場所を発見できたのも、
何かの縁をカンジます。

無神論者の口ぶりじゃねえですな。

あの時、何が起こったのか?
は、ここでは詳しくやりません。

事故原因は素人目にしても複雑やし、
当事者でもない穴居人が知ったかぶりしても、
誰も心地いいことがないでしょうから。

ただ一つ、
あの場にあったものが姫路にあるというのは、
訴えかけてくるものがあると思えるんです。

台風が来てもいつも素通りされる、
山崎断層はいつまで経っても動かない、
それなのに、引ったくりだけは後が絶えない
この平和ボケの姫路に。
しかも、一番被害の大きかった2両目
3両目
4両目
がここにあるんです。

6両目以降の行方はよくわかりません。

内部はどうなっているのか?
目隠しが完璧すぎる・・・

資料から、こうなっているのはわかるんですが、
実際事故車輌がどんな状態で保存されているのかは、
外からはまったくつかめません。
警備員も常駐してるしね。

確かに愉快犯が登場しないとも限らないでしょうが。
事故原因が石ではないか?
とされたときに、同じ事件を起こそうとしたキチガイが、
全国に出没したっていう話ですからね。

それにしても厳重だ。
立地といい、JRは隠蔽しておきたいとしか思えない。

見世物にしろとは言わないが、
ここまでされると事件をこのまま風化させたいのかと、
真剣に思う。
そもそも、何故、保管されているのか?
事故を二度と忘れないため?

そんなセンチメンタルな気持ちじゃないようです。

その理由は裁判の証拠物件として。

企業の考えることの寒々しさを改めて痛感しますね。
裁判が終われば、サッサと撤去しちゃうんでしょうか?
ホントにまだココにあるのか?

ホントにあります。
中を覗くことは不可能ながら、
外からでも痕跡を確かめることが出来るからです。

財産使用標示に書かれた品名。
もう擦れて消えかかってますが、こう読めます。

「車輌」

確かにココにあるんです。
正直、ココは、穴場ではありません。

それでも姫路には風化させてはならない
黒歴史が複数隠されているんです。

その一つ、一つが誰かの心に残るように。
それが知ってしまった者の務めじゃないでしょうか

だから記事にしてみました。

日航機事故の残骸が、
事件を風化させないために
公開されようとしている今、
裁判が終わったからといって、
お役払いとばかりに処分されてしまわぬよう、
姫路に住む、
僕らが見張っていかなけりゃならないんですから。

責任重大です。
これはもう他人事じゃない。
きっとそうなんです。

穴場スコア
「トリプルボギー」クラス


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撮影:2009.03 by 穴居人