
(ほうじょうじぞうそん)
場所・姫路市北条
戦争反対!
と謳う方々に、「じゃあ、どうすりゃいいの?」と投げかければ、
「武器を捨てて、話しあえばいい!」とか言い出す
お花畑全開の自己犠牲お涙頂戴の連中を除けば、
「悲惨な戦争の現実を知らせて、こんなことが二度と起きないようにしよう!」
といった辺りにまあ落ち着くしかなかったりします。
でもそれだと、
「地震や津波と一緒で、近々ひどい目に合わないと分からない」
って致命的な欠点があるんですよね。
そのために全国の自治体には、各々血税を絞りとって、
平和資料館なるものが親切にも設置されてます。
姫路にももちろんあります。
学校行事以外で訪れた物好きは見たことありませんが。
だってつまんないですもん(不謹慎)
悲惨だ!悲惨だ!と文字で書き殴ったトコで、焼け焦げた衣服を展示した位で、
誰の心も動かないんですもん。
かといって、爆散してちぎれ飛んだ人体とか、生きたまま燃やされる人間とか、
放送コードでさえ思いっきり引っかかりそうな展示が出来るハズもないですやん。
これじゃ、
「悲惨な戦争の現実を知らせて、こんなことが二度と起きないようにしよう!」
なんて夢のまた夢です。
あくまでマイルドに、それでも悲惨極まりなく。
思いっきり矛盾している戦争体験を出来る場所は、姫路に一つしかございません。
それが此方、北条地蔵尊でございます。
| ただの地蔵尊に何があるか? 単純に種明かしをすると、 この地蔵尊、なまじ姫路駅に近い立地なもんで あの白鷺橋と同じように、 昭和20年7月3日の姫路空襲で、 ボッコボッコにやられて、その焦げ跡やら 傷跡やらがまだ生々しく残っているんです。 70年以上も前の出来事なんで、 古臭いド田舎姫路でもその痕跡はそう多くありません。 だから、大体の戦跡ガイドには、 全て網羅する勢いで大体の場所が載っているんですが、 此処はフル無視。 何故なんだ・・・・ ちなみに、この地蔵尊に併設する薬師堂も、 戦災で焼けたそうですが、昭和44年に再興したそうです。 白塗りの立派な建物が地元の愛情を伝えてくれますね。 22年も放置してたのは、まあ・・・ 笑顔でスルーしましょう(提案)。 |
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| 一際、目立つ場所に、 というか北条地蔵尊の地蔵で唯一、 雨風を凌いでもらっている石仏は、 弘化4年製で一番の古株なんで、当然の扱いです。 しかし、この御方、 焦げ跡とかないんですが・・・ 年代から考えても、 他のお地蔵さんと一緒に戦火に晒されたハズなのに・・・ もしかして、当時から特別扱い? |
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| というわけで、その裏のその他多数の方々。 此方が本番の北条地蔵尊でございます。 他の地蔵尊にはない異様な雰囲気。 狭い敷地に地蔵様がびっしりと。 それだけでも、子供ぐらいは泣き出しそうですが、 周りがあまりに住宅地なので、怖さ半減。 鬱蒼とした森の中にでもあったらよかったんですが。 まあ、それだと空襲の被害にも 遭わなかったんでしょうが。 複雑なトコです。 |
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| それにしても痛々しい。 黒く煤けているだけじゃなく、 顔面のコンクリもそこはかとなく剥がれ気味。 「コンクリでさえ、こんなんになるんだから、 人間なんてひとたまりもないよね」 と、素直にしんみりさせてくれる事請け合いです。 |
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| 何せ、ここにあるコンクリ石仏、 ほぼ全てがこの調子なんで。 弘化4年のヤツ以外。 やっぱり石の方が、コンクリより頑丈なのか・・・ ところどころに新しいセメントが 塗りたくられて保全されているのは、 地元の方々の愛情を感じますね。 たとえ昭和61年まで放置されていたとしても。 ・・・何で隣のお堂を修復してから、 16年もそのままなんだ・・・ 何故一緒にどうにかしてやらなかったのか 疑問はつきませんが、 真新しいお堂の横に散乱する コンクリ仏の山という光景は中々、 それはそれで退廃的で見応えがあったかも知れません。 それにしても、こんな姫路のほぼ中心地で 41年間も野ざらしにされていたのには、 少し違和感を感じます。 某お金数え機メーカー前の、 素敵な焼肉屋跡のような(自主規制) |
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| まあ、それでもそのままスクラップにされるよりは、 全然マシってもんです。 41年かかったとはいえ、 ちゃんと建て直してくれたんですから、 贅沢はいいませんよ。 ちゃんと・・・・・って してねえぇぇぇ!!! なんじゃぁ、こりゃっ!!! 仏様の顔が・・・ ってかどんなやっつけ仕事やったら こんな事になるんだ・・・・ 辛うじて顔と分かる絶妙な整形っぷりに、 さすがの穴居人も唖然となるってもんです。 |
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| 他の仏像はまだ大丈夫・・・・ いや、スゴイのがいた・・・ |
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| 最早、原型が1ミリたりと想像出来ない ある意味想像絶する”何か”がいる・・・・ 無駄にコンクリの材質が違うので、 何回か修復したに違いないんですが、 この有様。 これを堂々と如来様と書かれた 台座の上に置けるのがすごい。 何ていうか・・・ イタリアの教会でおばあちゃんが 良かれと思って修復した あのキリスト壁画を思い出す冒涜っぷりです。 ってかこれ、ほとんど雪ダルマやん・・・ |
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| 仏様の体中に残る夥しい焦げ跡・・・ よりもどこか間の抜けた修復跡 の方が気になりすぎて、 戦争の悲惨さどころではないです・・・。 シンゴジラみたいにパカッと割れた顎は 何故、放置? 修復の基準も曖昧すぎて、 突っ込みどころしか湧いてこねえ・・・ |
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| 一番目立つ位置にあるのが、 英霊雄魂永劫塔。 とスゴイ名前はそこはかとなく忠魂碑っぽくあるので、 戦争関連なのかとは思うんですが、 グーグルさんでも一切引っかからない オリジナルクオリティな割に、 前にも後ろにもほとんど情報なし。 弦が絡みあったような独特な光背といい、 カトリック教徒みたいな手組で、 佇む左右の仏さんといい、ガチで謎がつきませぬ。 似たようなヤツをご存知の方は是非、 ご一報を(割りとマジで) |
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| その隣には打って変わって 平平凡凡なお地蔵さんも。 適度に黒ずんでますが、 もう焦げ跡なのか、汚れてるだけなのかすら、 定かじゃありません。 西院河原地蔵尊(賽の河原の由来)とあるので、 水子地蔵としては変わった雰囲気ですが、 他の地蔵様に比べれば、 何のことは・・・・ |
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ホントにゴメンナサイ。 こっちみないで。 慈愛に満ち満ちたお顔なんですけど、 視線が無駄に怖いよ。 金太郎みたいな前掛けが、 余計異様さを醸しだしてます。 いや、帯を締めているから胴当て? どちらにしても、余り見つめていると 本気であちら側に連れて行かれそう・・・ 霊感ゼロの穴居人でも ガクブルなので、その筋の人が見たら、 本気でヤバイかも知れません。 それぐらい、オーラ出てます。 |
| 地蔵尊の一番奥には、 41年間きっと全般的に こんな感じだったに違いない ごった煮っぷりで菩薩様やら如来様やらが 無残に放置されてます。 中には真っ二つや 首がもげてるヤツもいますが、 保存状態は悪く無いような・・・ 少なくとも↑の雪ダルマよりは現役です。 今からでも遅くないので 選手交代してやってください。 |
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| いかがだったでしょうか? 地元民に愛されながらたに違いない 地蔵尊でさえも 41年も放置されねばいけなかった程の、 破壊が戦争なんですよ。 その傷跡は未だにご顕在。 70数年経っても衰える事を知りません。 人間だったらとっくにアルツハイマーですよ。 そう、最も悲惨な戦争の現実って、 あまりの長く引きずってしまうって事なんです。 ただ目を背けなければ、 子々孫々まで続きそうな負債を、 残すわけにはいかないって分かるもんです。 大博打に出るのは容易いですが、 そのツケは・・・こんな事になっちゃいますからね。 |